分国法について
分国法はこちらで解説しています。
その他分国法の現代語訳です。
早雲寺殿二十一箇条とは
北条早雲について
北条早雲は、戦国時代初期に関東へ勢力を広げ、後に「後北条氏」と呼ばれる一大勢力の基礎を築いた人物で、戦国大名のパイオニアとも評されます。
本名は伊勢宗瑞と言い、伊勢新九郎長氏とも呼ばれます。
北条早雲は、少し前までは出自不詳などと言われていましたが、現在では、室町幕府の政所執事を務めた一門、伊勢氏の出身と言われています。
伊豆国を支配していた当時の堀越公方、足利茶々丸を討ち(下剋上)、それを足掛かりに相模国へ進出しました。相模国の大森氏を滅ぼして小田原城を掌握し、ここから北条氏の代名詞ともいえる難攻不落の巨城、小田原城が造り上げられていくのです。
そんな北条早雲は無益な戦を避け、治国にその才能を注ぎました。法と秩序による支配を重視したわけです。
『早雲寺殿二十一箇条』について
早雲寺は、北条早雲の菩提寺にあたる寺で、現在の神奈川県足柄下郡箱根町にあります。『早雲寺殿二十一箇条』はそこで発見された寺蔵文書の一つです。
注意してほしいのは、原本は現存していないということです。現在知られているのは、江戸時代に書き写された写本になります。
写本とはいいますが、他の分国法との共通点や、北条早雲の方針の一貫性などから信憑性が評価され、一級史料として扱われています。
現代語訳
第一条
第一仏神を信し申べき事。
第一に、仏神を信じること。
第二条
朝はいかにもはやく起べし。遅く起ぬれば。召仕ふ者まで由断しつかはれず。公私の用をかくなりはたしては。必主君にみかぎられ申べしとふかくつゝしむべし。
朝はとにかく早く起きなさい。遅く起きると、仕えている者まで気が緩んでしまい、公私の用事が滞ってしまう。最後には、必ず主君に見限られることになると、深く慎むべきである。
第三条
ゆふべには。五ツ以前に寝しづまるべし。夜盗は必子丑の剋に忍び入者也。宵に無用の長雑談。子丑にねいり。家財をとられ損亡す。外聞しかるべからず。
宵にいたづらに焼すつる薪灯をとりをき。寅の剋に起。行水拝みし。身の形儀をとゝのへ。其日の用所妻子家来の者共に申付。扨六ツ以前に出仕申べし。
古語には。子にふし寅に起よと候得ども。それは人により候。すべて寅に起て得分有べし。辰巳の剋迄臥ては。主君の出仕奉公もならず。又自分の用所をもかく。何の謂かあらん。日果むなしかるべし。
夕べについて。五つ時(20時頃)より前には寝静まること。夜盗は子の刻、丑の刻(23時~3時頃)に忍び込むものである。宵に無用の長話をし、子の刻、丑の刻に寝入るようなことをすれば、家財が盗まれるなどの損害を受ける。また、世間体も悪い。
宵に、灯に用いる薪を無駄に燃やさず取り置くこと。寅の刻(3時~5時)に起きて行水(水で体を清めること)をし、身の形儀(礼儀や態度)を整えること。その日の用事は妻子や家来に言いつけて、六つ時(6時頃)より前に出仕するように。
古い言葉に、『子に寝て寅に起きよ(23時に寝て4時に起きよ)』とあるが、それは人による。寅の刻に起きれば得るものが多いのはその通りである。辰巳の刻(8時頃)まで寝ていては、主君への出仕や奉公のみならず、自分の用事も果たせない。他に何か言うことはあろうか。虚しく一日が終わってしまうだろう。
第四条
手水をつかはぬさきに。厠より厩。庭門外迄見めぐり、先掃除すべき所をにあひの者にいひ付。
手水をはやくつかふべし。水はありものなればとて。たゞうがひし捨べからず。家のうちなればとて。たかく声ばらひする事。人にはゞからぬ躰にて聞にくし。ひそかにつかふべし。天に跼地に蹐すといふ事あり。
手水を使う前に、厠(トイレ)や厩(馬小屋)、庭や門の外まで見回り、まずは掃除すべき所を適切な者に言いつけよ。
手水はさっと使うこと。確かに水があるものだが、だからといって無駄に使って捨てるようなことはしてはならない。自分の家の敷地だからといって、大きな声で声払い(大声やうがい)をしてはならない。人に配慮しないのは、聞く側は耳が痛い。静かに使うこと。『天に跼(きょく)し、地に蹐(せき)す』という心が大切である。
『詩経』に由来する言葉で、「天を敬って身をかがめ、地を恐れて慎重に歩く」という意味です。本文に照らし合わせると、これらの行動をして、「神仏や天地に恥じない態度で生きよ」と言っています。
第五条
拝みをする事。身のおこなひ也。只こゝろを直にやはらかに持。正直憲法にして。上たるをば敬ひ。下たるをばあはれみ。あるをばあるとし。なきをばなきとし。ありのまゝなる心持。仏意冥慮にもかなふと見えたり。
たとひいのらずとも。此心持あらは。神明の加護有之べし。いのるとも心まがらは。天道にはなされ申さんとつゝしむべし。
神仏に拝むこと。拝みの効果は、身の行いによって顕れる。ひたすらに心を正直で柔らかに保ち、それを基として、上を敬い下を慈しみ、あるものはある、ないものはないと、ありのままを受け入れる心を持て。そうすれば、仏のお心、お考えにもかなうと思っている。
たとえ祈らなくても、この心を持っていれば、神仏のご加護はあるだろう。逆に、祈ったとしても心が曲がっていれば、天道には見放されると心得、行いを慎むように。
第六条
刀衣裳人のとく結構に有べしと思ふべからず。見ぐるしくなくばと心得て。なき物をかりもとめ。無力かさなりなば。他人のあざけも成べし。
刀や衣服を、人より立派であろうと思ってはならない。見苦しくなければそれでよいと考えよ。無いものを借りてまでして求めるな。身の丈に合わないものが重ねて着れば、他人から嘲笑されよう。
第七条
出仕の時は申に及ず。或は少き煩所用在之。今日は宿所にあるべしとおもふとも。髪をばはやくゆふべし。はふけたる躰にて。人々にみゆる事。慮外又つたなきこゝろ也。
我身に由断がちなれば。召仕ふ者までも。其振舞程に嗜むべし。同たけの人の尋来るにも。とゝつきまはりて。見ぐるしき事也。
出仕の時は言うまでもないが、少しの用事がある時も、「今日は宿所にいるのだな」と思っても、髪はきちんと結うこと。だらしない姿で人前に出るのは、慮外、または、浅はかな心がけだということである。
自分が油断すれば、仕える者までもその振る舞いに倣ってしまう。同格の人が訪ねてきた時、あちこち世話を焼かせるのは、失礼なことである。
第八条
出仕の時。御前へ参るべからず。御次に祗候して。諸傍輩の躰見つくろひ。さて御とをりへ罷出べし。左様になけれは、むなつく事有べきなり。
出仕の際、いきなり御前に出てはならない。御次(控えの間)で慎んで待ち、傍らに侍る者々の様子を見て、それからお通り(作法)の通りして退出するべきである。そうしなければ、不快なことが起こるやもしれない。
第九条
仰出さるゝ事あらば。遠くに祗候申たり共。先はやくあつと御返事を申。頓て御前へ参。御側へはひゝゝより。いかにも謹て承べし。扨いそぎ罷出。御用を申調。御返事は有のまゝに申上べし。
私の宏才を申べからず。但又事により。此御返事は何と申候はんと口味ある人の内儀を請て申上べし。我とする事なかれといふことなり。
呼び出されたら、遠くに侍っていたとしても、まず大きく返事をし、すぐ御前に参上せよ。お傍に這って言い寄り、特に慎んで主君の言葉を承ること。そして、さっと退出し、内容を整理し、報告せよ。ただ、お返事の場合は、ありのままにせよ。
自分の才覚を申し上げてはならない。ただし、必要なら、この手の返事はどうしたらいいか、口味(経験)ある人に内儀(相談)してから申し上げること。独断しないように、ということである。
第十条
御通りにて。物語抔する人のあたりに居べからず。傍へよるべし。況我身雑談虚笑抔しては。上々の事は不及申。傍輩にも心ある人には。みかぎられべく候也。
通りについて。雑談している人の近くにいてはならない。端に避けること。ましてや、自分が雑談や無駄笑いをするなど論外である。目上の者々は言うまでもないが、かかわりの深い傍にいる者、同格の者のなかでも正しい心がある人からは、見限られてしまいかねない。
第十一条
数多まじはりて事なかれといふことあり。何事も人にまかすべき事也。
『数多交わりて事なかれ(人と多く関わることのないようにせよ(問題が起こりやすいから))』とは言うことがある。何事も人に任すべきではない。
第十二条
少の隙あらば。物の本をば。文字のある物を懐に入。常に人目を忍びみべし。寝てもさめても手馴ざれば。文字忘るゝなり。書こと又同事。
少し暇があれば、物書きの本、特に、文字のある本を懐に入れ、常に人目を忍んで読むこと。寝ても覚めても手に馴染ませなければ、文字は忘れてしまう。書くのも同じ事である。
第十三条
宿老の方々。御縁に祗候の時。腰を少々折て手をつき通るべし。はゞからぬ躰にて。あたりをふみならし通る事。以之外の慮外也。諸侍いづれも慇懃にいたすべき也。
宿老(重臣)の方々の近くに侍る時は、少し腰を折って、手をついて通ること。憚らず、大きな足音で床を踏み鳴らしながら通るのはこれ以上にない無礼である。全ての侍は慇懃(礼儀正しい様子)に振る舞うべきである。
第十四条
上下万民に対し。一言半句にても虚言を申べからず。かりそめにも有のまゝたるべし。そらごと言つくればくせになりてせゝらるゝ也。人に頓てみかぎらるべし。人に糺され申ては。一期の恥と心得べきなり。
身分の上下を問わず、全ての民に対して、一言、半句でも嘘をついてはならない。かりそめに(少しの間)関わるような時でも、気を緩めずありのままであれ。空言(嘘)は癖になり、本当のことのようになってしまう。そうなると、人に軽く見られ、やがて見限られてしまうだろう。人に問い糺されるようなことを言われるのは、一生の恥と心得よ。
第十五条
歌道なき人は。無手に賤き事なり。学ぶべし。常の出言に慎み有べし。一言にても人の胸中しらるゝ者也。
和歌の心得がない人というのは、何の準備もないため、恥ずかしいものである。学ぶべきである。普段の言葉遣いにも慎みを持て。たった一言でも、人の心は見抜いてくるものなのだ。
第十六条
奉公のすきには。馬を乗ならふべし。下地を達者に乗ならひて。用のたづな以下は稽古すべき也。
奉公の合間には、馬術を習うべし。熟練者に基礎を習い乗れるようになり、手綱の扱い以下も稽古せよ。
第十七条
よき友をもとめべきは。手習学文の友也。悪友をのぞくべきは。碁将棊笛尺八の友也。是はしらずとも恥にはならず。習てもあしき事にはならず。
但いたづらに光陰を送らむよりはと也。人の善悪みな友によるといふこと也。三人行時。かならずわが師あり。其善者を撰で。是にしたがふ。其よからざる者をば。是をあらたむべし。
良い友を求めるなら、手習い(読み書き)や学文(学問や文学)の友である。悪友は取り除くべし。悪友とは、碁、将棋、笛、尺八を好む友である。これらを心得なくても恥ではない。
ただし、いたずらに時間を過ごすくらいなら学んだほうが良い。人の善悪は友によって決まるということである。友3人のところに行けば、必ず自分の師となる者がいるものである。その善い者を選んで従うのだ。悪い者とは改めよ。
第十八条
すきありて宿に帰らば。厩面よりうらへまはり。四壁垣ね犬のくゞり所をふさぎ拵さすべし。
下女つたなきものは。軒を抜て焼。当座の事をあがなひ。後の事をしらず。万事かくのごとく有べきと深く心得べし。
暇があって宿に戻ったら、厩から裏に回り、四方を囲む塀や垣根にある犬のくぐり穴があれば塞がせよ。
未熟な下女は、柱を抜いて燃やすなど、目先のことを最優先し後のことを考えない。万事、このようなことがあると深く心得ておくように。
ただの犬の通り道というわけではなく、劣化の加速や侵入者を許す可能性に繋がってしまいます。
第十九条
ゆふべは六ツ時に門をはたとたて。人の出入によりあけさすべし。左様になくしては。未断に有之。かならず悪事出来すべき也。
夕方六つ時(18時頃)には門をしっかり閉め、人の出入りに応じて開けさせよ。そうしなければ、無断で侵入され、必ず悪事が生じる。
第二十条
ゆふべには。台所中居の火の廻り。我とみまはりかたく申付。其外類火の用心をくせになして。毎夜申付べし。
女房は高きも賤も。左様の心持なく。家財衣裳を取ちらし。由断多きこと也。人を召仕候共。万事を人に計申付べきとおもはず。我と手づからして。様躰をしり。後には人にさするもよきと心得べき也。
夕方には、台所や中居の火元の周りを自分の目で見て回り、厳しく言いつけよ。その他火の気のありそうな所も、火の用心を習慣にして毎夜見回らせよ。
女房は身分の高い低いに関係なく左記の心(火の用心)を持たないので、家財や衣服を散らかしがちで、油断が多い。人を召し抱えていたとしても、全てを言いつけて良いものだとは思わず、まずは手づから(自分で行う)とし、様子を知るのだ。それをやれば、以降は人にまかせても良いと心得ておくように。
第二十一条
文武弓馬の道は常なり。記すに及ばず。文を左にし。武を右にするは。古の法。兼て備へずんば有べからず。
文武弓馬の道は常識である。記すまでもない。文を左、武を右とするのは古来からの習いで、両方を兼ね備えなければならない。
まとめ
電気が存在しなかった中世は、夜は月明りや火を灯して視界を確保していました。逆に言えば、目が使えない夜は暇、転じて夕暮れまでに用事は済ませておく必要がありました。だから朝も早いし夜も早いのです。
また、ちょくちょく女性をディスってるところを見ると、正式に効力を持つ分国法を作った、というより、家訓レベルの私法であったことが伺えます。
『塵芥集』や『甲州法度次第』なんて、数百条にわたりますから。
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