こんにちは、とらちゃです。
多くの人が仏教を信仰しているこの国。しかし、信者(=多くの日本人)が日々勤行を行っているわけではありません。
神社に行ったり寺に行ったりしたかと思えば、ハロウィンやクリスマスといった他宗教のイベントで盛り上がる、多神教の国です。
そんな日本ですが、長い歴史の中で、一神教と関りが深いことをご存じでしょうか。
そもそも、一神教と多神教はどこで差が生まれたのでしょうか?
- 一神教と多神教の違い
- 一神教と多神教の誕生
- 日本史における一神教
一神教と多神教の違い、そして、日本史の中でどのような一神教が現れてきたのか、解説します!
現在の一神教と多神教の宗教
まずは、現状把握からです。
現代において、一神教と多神教にはどのようなものがあるのか見てみましょう。
一神教 | 多神教 |
ユダヤ教 | 神道 |
キリスト教 | 仏教 |
イスラム教 | ヒンドゥー教 |
主に信仰されている宗教を挙げました。
先に結論を述べましょう。
- 一神教:西洋、西アジア
- 多神教:東アジア
に集中してみられる。
あくまで、集中してみられるという点に注意してください。全部が全部当てはまるわけはありません。
要するに、地理的な違いがみられるということですね。実はこのことが重要になってきます。
一神教と多神教の誕生
多神教
神道が誕生したのは縄文時代から弥生時代ごろだといわれています。
信仰に関する遺構や遺物の出土から判明しました(考古学研究)。では、それら史料から、当時信仰されていた宗教は何と呼ばれているでしょうか。
それはアニミズム思想と呼ばれています。
抜歯、屈葬、石棒、土偶・・・
上記のような単語がその最たる例です。
ん、これと多神教に何の関係があるのか?と思った人、それは「アニミズム」の単語の意味を知ると納得するでしょう。
アニミズムとは、「アニマ(精霊)」+「イズム(ism)」の造語で、アニマとは、ラテン語を語源とする、生命や魂を指す言葉です。
要するに、アニミズム思想とは、
この世界に存在する、あらゆるモノには霊魂が宿っている
という多神教の考え方なのです。
ここで注目して欲しいのは「あらゆるモノ」という部分です。
今もそうですが、日本という国は瑞穂の国と呼ばれるように自然豊かで、縄文時代から今日まで、
海・木・動植物・石・雨・川・草・・・
といったように、あらゆるモノに囲まれています。これは日本に限らず、多くの東アジアにも適用されます。
このような環境のため、
「全てのモノには人間と同じ様に魂が宿っているのだ。」
という考え方が生まれ、結果として多神教の宗教、日本では神道が生まれました。八百万の神々とは、この延長です。
モノに魂が宿る+神=神道 の出来上がり!
現在も、「石に魂が宿り、木に魂が宿り、山に魂が宿り、もっと現代的にいえばトイレに魂が宿る。」なんて言われます。
アニミズム思想は大昔特有の信仰だったわけではなくて、現代にも引き継がれているということなんです。びっくりですね。
神道には経典が存在しません。これが、アニミズム思想が変化してできたものだと言われる根拠です。
このように、アニミズム思想は後の時代の神道と融合し、そしてその神道は仏教と融合し、さらにその後の時代は国学などの学問に発展― といった進化をみせます。
あらゆるモノに囲まれた環境だからこそ
アニミズム思想(多神教)が生まれた
神道などと結びつき、「モノに神が宿る」という考え方が生まれた
※神道には経典が無いことが根拠
現代にもその精神(多神教信仰)が引き継がれている
一神教
さて、一神教はどうでしょうか。簡単に言えば、多神教と逆の環境下で生まれた宗教と言えます。
ユダヤ教、イスラム教との共通点は、砂漠地帯で誕生したという点です。
自然はなく、地平線のその先まで広がる砂の大地。
そんな小さな存在である私を見ているのは、空に浮かぶ太陽と月だけ。
太陽は私を常に灼熱で包み、月はそんな太陽と違って私を涼しさで覆う。
ということで、世界の悪は太陽、善は月という認識が生まれ、
「このムチとアメを司る絶対神が天にいるはずだ。」
という考え方が生まれます。天が全てなんです。この絶対神信仰をもとに、一神教である、イスラム教とユダヤ教が誕生ました。
イスラム教には、断食という文化があります。
期間中全く食事をしないのではなく、日が沈んだら食事をとっているのはご存じでしたか?
要するに、悪である太陽に見られないようにするのが目的なのです。
信仰対象が唯一神という存在の強さから、忠誠心の高さが評価される反面、他の宗教を認めない、グローバル化の現代においてしばしば問題視されるというマイナスの側面があります。
生命のない厳しい環境だからこそ「天」が信仰対象となった
「天」という絶対的存在感により、一神教が誕生した
では、もっと世界を狭くして見てみましょう。日本の歴史の中でも、信仰対象はただ一つ、その他は認めない。といった宗教や信仰集団をご紹介します。
日本史の中の一神教
日本は、そして日本人の精神は、多神教がベースにあります。そのため、日本史の中で一神教が誕生しても、どうしても多神教の国体と衝突を起こしてしまいます。
どのような例があるのか、見てみましょう。
室町時代(一向一揆・法華一揆)
中世において宗教と一揆に関連があるのは一向宗(浄土真宗)と日蓮宗です。
- 一向宗(浄土真宗) → 一向一揆
- 法華宗(日蓮宗) → 法華一揆
いったいどのような点が一神教なのでしょうか。
一向宗
一向宗は浄土真宗のことですが、そもそもなぜ一向宗と呼ばれるのでしょうか。
浄土真宗とは、親鸞が開祖の仏教で、親鸞は他の宗教を批判しまくったことで有名です。そんな浄土真宗の教えは、
「南無阿弥陀仏」を唱えるだけで、極楽浄土へ行ける。
というもの。民衆にも分かりやすく、瞬く間に広まっていきました。
一向とは、読んで字のごとく、ある一つのことをひたむきに修める。という意味です。
「南無阿弥陀仏」をひたすらに唱える。ということですね。
この唯一の行動は、イコール勤行でした。
『一向』という言葉には、死ねば極楽浄土という一つの行き先がある。
という意味も内包しているような気がします。
中世は町も人も荒れていた時代で、信者は、現世よりも極楽浄土にいた方が良い世界だと思いました。そのため、信者は死を恐れずに戦ったのです。
- 加賀一向一揆では、富樫政親を滅ぼし、百姓が国を治めるという異例な事態が起きました。
- 石山合戦では、浄土真宗石山本願寺と織田信長が激突。10年に渡る戦争を繰り広げました。
民衆に普及しているだけあって勢力は絶大、そのうえ死を恐れない。一神教恐るべし。
一揆のような武力行使は稀な例ですが、普段から一向宗は問題行動を繰り返していました。たとえば、ヤブ医者、ニセ物乞い。
これに目を光らせ、分国法で明文した大名がいます。現在の熊本県域を治めていた相良氏です。『相良氏法度』において、一向宗に注意するよう領民に喚起しました。
別の記事で内容について詳しく解説しています。
日蓮宗
日蓮宗の開祖、日蓮は、鎌倉時代、時の権力者であった北条時頼に対し、『立正安国論』を提出しました。この時は見向きもされず、刑罰を受けています。
さて、『立正安国論』ですが、その中で「経典である、『法華経』以外を信じない者は救われない。」と述べており、他宗教を厳しく弾圧しました。
分かりやすいほどの一神教の世界観です。
二度目の元寇である1281年の弘安の役において神風で元軍を撃退したことをきっかけに、一気に普及します。そんな日蓮宗は、経典である『法華経』にちなんで、法華一揆をおこしました。
幕府や大名といった権力者と激突しただけでなく、一向宗とも激突したことがあります。その際、一向宗(浄土真宗)の寺院、山階本願寺を焼き払いました。
かなり野蛮ですが、日蓮宗は、天文法華の乱をきっかけに衰退します。
1536年、ブチ切れた一向宗が逆に日蓮宗寺院を焼き払ったのです。日蓮宗を京都から追放、日蓮宗は、そのまま衰退しました。
絵に描いたような宗教戦争。報復戦争。歴史は繰り返されます。。
- 法華一揆では、権力者だけでなく、一向宗とも衝突しました。
- 天分法華の乱をきっかけに、日蓮宗は衰退しました。
ちなみに、『法華経』はいつから日本の表舞台に出てきたかというと、
741年の『国分寺・国分尼寺建立の詔』です。実は『法華経』に依拠して作られたって知ってましたか?
江戸時代(キリスト教弾圧)
皆さんご存じの通り、江戸時代では長い間、キリスト教弾圧が行われていました。特に、島原天草一揆は幕府による大きな迫害行為となりました。
なぜこうなったのか。話は少し前の時代に戻ります。
時は戦国時代、豊後国を治めていた大友氏はキリシタン大名として、キリスト教の普及を勧めました。
実は、その裏では寺院や神社を破壊したり、それら神官の一族を奴隷として海外に売り飛ばすといった、考えられないような蛮行をも行っていたのです。
これを知った豊臣秀吉がブチ切れてキリスト教弾圧が始まりました。
そして江戸時代、島原天草一揆。ここでも、戦国時代と同じ様に、キリシタンと寺院・神社とが敵対していました。当然、日本の国体は仏教(多神教)ですから、衝突が起きるのは必定。
キリスト教は一神教で、死ねば救済されるという考えがあります。これの精神によってキリシタンは激しく抵抗、結果として凄惨な戦いとなりました。
考えてみると、「死ねば救済される」と言う考えは、一向宗と同じですね。
死ねばイエス様に救済していただけるのだ。。
死は怖くないぞ!!
キリスト教弾圧の要因には、植民地化政策をはじめ、様々な事象が入り乱れています。
とはいえ、如何なる理由であれ、基本的に他の宗教を認めない一神教の行動が、中央政府の目に余っていたことは確かです。
明治時代(神風連の乱)
幕末の熊本県で発生した士族の反乱のひとつです。熊本鎮台を襲撃した事件で、熊本鎮台司令官種田政明が殺害されるなど、大きな被害が出ました。
この神風連は、林桜園という国学者の門下生が立ち上げた組織で、彼らは熊本中の神社を敬っていました。
そんな神風連が起こした神風連の乱は、一神教的精神のもと発生した反乱だと私は考えています。
彼らが決起した要因となった当時の状況の特徴として、明治新政府によって数々の条約締結をはじめとする開国政策が積極的に急速に進められていたことが挙げられます。
神風連からすれば、尊敬する林桜園先生の示した道、つまりこれまでの日本人の精神が、外国勢力の侵略によって破壊されかねないと感じられるわけです。
自分たちは非力だが、林桜園先生の思想が失われていくのを何もせずに眺めるのは偲びない。なれば、立ち上がろうではないか!
林桜園先生を神のような存在に見立てて、盲目的に思想を押し通そうとして力に訴えました。
↓断念
己の信じる道を貫くため、それを妨害する事象を排除する
という方針の変更です。
詳しくは省きますが、神風連の乱は、矛盾点や不可解な点が多く、その行動の不可解さから士族の反乱とは思えない印象を受けます。
例えば、「復古思想では神道を崇拝しますが、神風連は、神の末裔(天皇)を中心とする明治新政府に協力するのではなく反乱を起こした点」が挙げられます。
いったい何が起きていたんだ??と思った方、詳しくはこちらをご覧ください!
まとめ
いかがでしょうか。
一神教と多神教の違いについて、そして一神教と日本史の関わりについてよく分かったのではないでしょうか。
- 一神教は、砂漠地帯で誕生した
- 多神教は、モノ(生命など)にあふれた環境で誕生した
- アニミズム思想は、現代にも受け継がれている
- 日本史の中でも一神教は大きな影響力をもたらした
- 特に一向宗と日蓮宗は互いに攻撃し合っていた歴史がある
このように、新しい視点で宗教をみると、理解しやすいことも多いのではないかと思います。