101:狐
旅人が豊間根(とよまね)村を過ぎた時の話である。夜更け頃、疲れていたためどこかで休息を取ろう考えていたところ、幸いにも知り合いの家に灯火が付いているのが見えた。入って休もうとすると、主人は
「良い時に来合わせた。今夕に死人が出てな。留守の者がいなくてどうしようかと思っていたところだ。」
と言い、しばらくの間主人は
「頼む!」
と人を呼びに行った。迷惑千万な事この上ないが、仕方ない。旅人が囲炉裡の側で煙草を吸っていた時、奥の方で寝かせてあった死んだ老女の方をふと見ると死人が床の上にむくむくと起き直ろうとしている。大変驚いたが、落ち着いて静かにあたりを見回すと、流し元の水口の穴の向こうに狐のような物があるのが見え、顔を穴にさし入れて頻りに死人の方を見つめていたのだった。
さて、これを見つけたので身を潜めて密かに家の外に出で、裏口の方に回って見ると、正体は間違いなく狐で、首を流し元の穴に入れ後ろ足を爪立てていた。そして、偶然そこにあった棒を手に持ち、この狐を打ち殺した。
※下閉伊郡豊間根村大字豊間根。
102:小正月の行事・山の神
1月15日の晩を小正月という。夕方になると子供らは福の神と称して4,5人の群を作り、袋を持って人の家に行き、
「明(あけ)の方から福の神が舞い込んだ」
と唱えて餅を貰う習慣がある。日没を過ぎると、この晩に限り人々は決して家の外に出ることはない。午前0時過ぎは山の神が出て来て遊ぶと言い伝えがあるためである。山口の丸古立(まるこだち)の今は35~36歳になるおまさという女の話である。
12~13歳の時のことだ。どういうわけか、人の身で唯一福の神に遭遇し、ところどころ歩いていたら遅い時間になっていた。ひとり寂しい帰り道に、向こうの方から背の高い男来てすれ違った。顔は非常に美しかったが、眼は赤く輝いていた。おまさは袋を捨てて逃げ帰り、その衝撃からか、精神的にかなり苦しんだという。
103:雪女・小正月の行事
小正月(1月15日)満月の夜、あるいは冬の満月の夜に、雪女が現れて遊んでいるという話がある。子供を多く連れてくるらしい。冬になると里の子供たちは近辺の丘に行きソリで遊ぶのだが、楽しさのあまり時間を忘れ、いつの間にか夜になっていることがある。
「十五日の夜は雪女が出るから早く帰ってきなさい」
と、どの家の子供たちも親からそう言われるのである。
しかし、「雪女を見た」と言う者は少ない。
104:小正月の行事
小正月の晩は行事が非常に多い。月見という行事は六つの胡桃の実を12片に割り、いっとき炉の火であぶってこれを引き上げ、一列に並べて右から「1月、2月」と数える。満月の日、晴れた日であれば月はいつまでも赤く、曇りの日であれば月はすぐに黒く、風のある日であれば月はフーフーと音をたてて火がふるうのである。何度繰り返しても同じ結果で、村中のどのの家でも同じ結果になるという。妙である。
翌日はこの事を語り合い、例えば8月の十五夜の天気が風荒れであったら、その年の稲の刈入れを急ぐ。
※「五穀の占」や「月の占」というのは、多少のvariate(変化)をもって諸国で行なわれる。陰陽道を起源とする行事であろう。
105:小正月の行事
(104に続いて)また、世中見(よなかみ)という行事は、小正月の晩に、いろいろな米で餅を拵えて鏡餅を作る行事である。同種の米を膳の上に平らに敷き、鏡餅をその上に乗せて、鍋を被せ置いて翌朝これを見る。餅についた米粒が多い品種の米は豊作であるとして、この結果をもとにその年の早稲(わせ)、中生(なかて)、晩稲(おくて)の種類を選び定めるのである。
106:不明
海岸にある山田という所では、蜃気楼が年々見られるため、常に外国のような景色が広がっているという。見馴れない都の様子に驚くのと同じようで、車や馬が頻繁に往来する様子は、目が覚めるほど驚かれる。時代によって家の形などが大きく異なるということは無いという。
107:山の神
上郷村に「河ぷちのうち」という家がある。早瀬川の岸にある。この家の若い娘が、ある日河原に出て石を拾っていたところ、見馴れない男が来た。その男は背の高く顔は朱色のような人で、木の葉やら何やらを娘にくれた。娘はこの日から占いの術を得たという。その男は山の神で、娘は山の神の子になったのだとか。
108:山の神
山の神が乗り移ったといって占いをする人は所々で見られる。附馬牛村にもある。柏崎の孫太郎という男は、本業は木挽である。以前は発狂して喪心したりしに、ある日、山に入ると山の神からその術を得た。それから後は、不思議なことに、人の心を読むことができるようになっており、驚くばかりである。
その占いの法は世間のものとは全く異なる。何の書物も見ず、占いを頼みに来た人と世間話をし、その最中にふと立ちあがって普段いる部屋の中をあちこちと歩き出すと思ったら、頼みに来た人の顔を少しも見ずに思っていることを言い当てるという。必ず当たるのだ。例えば、
「お前のウチの板敷を取り外し、土を掘ってみよ。古い鏡または折れた刀があるだろう。それを取り出さないと近いうちに死人が出たり、家が焼けたりするぞ」
とか言う。帰って土を掘ってみると、言った物が必ずある。このような例は非常に多く、指を折って数えることはできない。
109:雨風祭
盆の時期になると、雨風祭といって、藁で人よりも大きな人形を作り、道の分岐点に持って行って立たせる祭りがある。藁だけでは寂しいので、紙で顔を描き、瓜で顔らしい形を作って付け足すようなこともする。虫祭という祭りの時の藁人形は雨風祭のよりも小さく、また、ように顔を付け足すこともしない。
雨風祭の内容はというと、まず、部落から頭屋という祭りの運営役を選んで、里の人を集めて酒を飲む。その後、運営役が笛太鼓を吹いて里の人たちを大通りまで送っていくというものである。笛の中には桐の木で作った空洞があり、天高く響かせるのだ。その時に歌う曲は
「二百十日の雨風まつるよ、どちの方さ祭る、北の方さ祭る」
という歌詞である。
※『東国輿地(よち)勝覧』によれば、韓国でも 厲壇(れいだん)を必ず城の北方に作っている。この話も韓国の祭壇も、共に玄武神の信仰が由来なのだろう。
110:里の神(ゴンゲサマ)
ゴンゲサマは、神楽舞の組ごとに一つずつ備えられている木彫の像で、獅子の頭部とよく似ているが、少し異なっている。非常に御利益のある像として扱われている。新張(にいばり)にある八幡社の神楽組のゴンゲサマと、土淵村にある五日市の神楽組のゴンゲサマが、かつて争いを起こしたことがあった。結果、新張のゴンゲサマは負け、像の片耳を失ってしまい今も片耳は無いままである。祭りの際は毎年村々を舞いながら歩くため、片耳無いことを知らないものはいなかった。ゴンゲサマの霊験は特に火伏(ひぶせ)によって得られた。
先ほどの新張の八幡社の神楽組がかつて附馬牛村に行き、日暮れに宿を取ろうと訪ね歩いていた時のことである。ある貧しい者が彼らを快く泊めてくれたのだが、その間ゴンゲサマは五升桝を伏せてその上に座わらせて置いていた。
人々が寝静まった頃、夜中にがつがつと物を噛む音がするので、驚きいて起きてみると、すでに軒端の火が燃え尽きていた。桝の上のゴンゲサマが飛び上り飛び上りして火を喰い消していたのだという。
この話から、頭を病むような子供はよくゴンゲサマに頼んで、その病を噛んでもらうことがある。
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