解説
『天草版平家物語』とは
『天草版平家物語』とは、世界の三大発明のひとつ、活版印刷によって中世に作られた、ラテン文字で書かれた『平家物語』の総集編的書物です。
原文はラテン文字ですが、内容は要点がまとめられており、取っつきやすい作品となっています。
これは、宣教師が、日本の歴史と日本語を研究するために作られたものであり、輸出向けではありませんでした。
キリシタン弾圧の時期と重複していることもその一因となっています。
天草版とは
天草版と呼ばれる理由は、戦国時代に、天草地方で印刷されたためです。
ただし、前述のとおり、キリシタン弾圧の影響もあり、原本は残ってないどころか、その生産遺構も機械も現存していません。
輸出されたものが奇跡的にヨーロッパに現存しているのみです。
それなのに「天草」だと分かる理由は?
『天草版平家物語』の奥書に、印刷に関わったイエズス会員と、布教拠点に関する情報が記されており、これが、当時天草にあったイエズス会の拠点と一致したためです。
宣教師は報告書として、書簡を度々ヨーロッパへ提出していました。その中に、「天草で日本語の本を印刷した」という旨の記録が確認されたのです。
また、天草は有馬晴信というキリシタン大名の統治下にあり、拠点として相応しい場所でした。九州かつ海沿いということもあり、海外との通信が容易であったことも拠点として最適であったといえましょう。
構成
右馬之允と喜一による2者の会話形式で物語は進みます。右馬之允が問いを投げかけ、喜一が答えるという関係です。

右馬之允
やあ、喜一。『平家物語』教えてよ。

喜一
教えてやるぞい。
現代語訳一覧
引用した原文はこちら!
第一巻
表紙だけ原文を掲載しています。
第二巻
表紙・序文
表紙
NIFONNO
COTOBATO
Hiftoria uo narai xiran to
FOSSVRV FITO NO TAMENI XEVANI YAVA RAGVETARV FEIQENO MONOGATARI
IESVS NO COMPANHIA NO
Collegio Amacuſa ni voite Superiores no go men qio to xite core uo fan ni qizamu mono nari.
Go xuxxe yori M.D.L.ⅩⅩⅩⅩⅡ.
日本の
言葉と
歴史を習い 知ろうと
欲する人のために読みやすくした平家の物語。
天草のデウスのコンパニヤ(イエズス会)の
コレジオ(神学校)にて。スペリオーレス(学校長)の許しを得て、これを版に刻んだ。
イエス・キリストご生誕1592年。
スペリオーレス(Superiores)はラテン語で上長、指導者の意味です。
序文
この一巻には日本の平家という歴史的一族について記す。これは、『金句集』と『伊曾保物語』に並び、読み物として押すものである。
これらの作者は異教徒である日本人であるが故に、この『平家物語』という題名は重々しくないものに見えるだろう。しかし、日本語の訓練のため、日本を知るため、この類の書物を版にすることは、南蛮寺において珍しいことではないのだ。
これを極めることは、デウスへの奉公を志し、その慈悲を希うことを意味する。現在に至るまでコレジオで用いられている教材というのは、イエズス会の布教活動における規則の趣旨に従って精査されて作られたものであるため、日本について学ぶ教材として『平家物語』が用いられる以上、一部は、学校長が任命した人の精査を経るのが適当であると決まったのである。
ヘベレイロ(2月)23日、天草にてこれを書す。イエス・キリストご生誕1593年(文禄2年)。
べべレイロ(febrebio)はポルトガル語で2月の意味です。
これを読む人に対して記す。そもそも、イエズス会のパードレ(神父)とイルマン(宣教師)は故郷を去って海を渡り万里を歩くことを遠いとも思わず広大な海へと船を出した。そして粟散邊地(辺境にある小国)の扶桑(日本)に留まり、天の教えを広め、迷う民衆を教導することに精を出している。
私もまた、悪事を働き不善に溢れた身であり、僅かな功徳も持ってはいないが、海へ繰り出した神父や宣教師を師として仰いでいる。彼らと同じ志を持ち、後に従った。
蠅が駿馬の後を追っているのに何も変わらなかった。しかし、我が師は私にこう教えてくれた。
「工匠は家屋を造ろうとする時、まず工具を利ぐ。漁師は魚類を獲ろうとする時、まず海から退いて網を結ぶ。我々もこれに変わらないのだ。この国に来て天の教えを説こうとしている我々は、まずこの国の慣習を知り、また言葉を学ぶべきなのだ。この2つの助けとなるよう、私は日本の書物を我が国の文字に翻訳し、梓に鏤ばめよう(出版しよう)とかんがえているあ。あなたに、その書物の選定と編集を任せよう。」
と。私は技術の浅く、また才能にも乏しい人間であったため、この大役には力不足であると考えた。何度も辞退申し上げた。しかし、イエズス会の『聖なる服従(サンタオベヂエンチヤ(Santa Obediencia))』の理念に従い、是非を論じることなく、その命に従うこととした。
言葉を学ぶついでに、日本の過去を偲ぶことができる書物は多くあるが、その中でも、文才として名高い比叡山の僧侶、玄恵法印(『平家物語』の作者の一人か)が作ったとされる『平家物語』に勝るものはないだろうと考え、書き写そうとした。
その際、我が師は私にこう言った。
「この『平家物語』を書物として形式ばって写すのではなく、二人が向き合いながら雑談しているような形で、日常で使う仮名文字で書き写すのだ。」
と。その理由を尋ねると、師はこう答えた。
「基本を学ぶことで上達するのは、世の中の道理である。どうして根本を学ばずに末端のことを取り扱うことができようか。賢い者がさらに賢くなろうとするなら、賢くなるための方法を柔軟に変えていかなければならない。一つのことに固執してはならない。だから書き写す際、日常的な仮名文字を用いることに加え、一人の人間がいくつもの名前を持ったり、官位による別称を持ったりする日本の慣習は避けたほうがよい。」
と。
別称などは、日本を学ぶ上での末端部分の情報だと師は捉えたようです。あくまでも『平家物語』の翻訳は日本について基本的な学びの手助けにするためです。
その理由は何かと問えば、
「日本について隅々まで記すことは、この目的の本筋を乱すものであり、また、他国の言葉を学ぼうとする初心者にとって大きな妨げとなるからである。今、皆が日本の言葉を学ぼうと努力しているのは、他でもない、尊い主イエス・キリストの福音の教えを広めるためである。つまり、この志に不要な事柄は、全て取り除かねばならのだ。」とのことであった。
最後に、恐れ多くも自分の拙い考えを加筆する。本当に、これには理由があって加筆するのだ。記す一つ一つの理由が正しいと私は確信している。この『平家物語』は、可能な限り原文の言葉を変えずに書き写し、抜書とした。私は、先に記した目的に応えるため、師の命に従い、編集にあたる。たとえ多くの人々から指をさされながら嘲り笑われたとしても気にしない。
どうかお願いである。博識な君子たちよ、この書を読んで、私の情熱を深く理解するとともに、拙い文章能力を嘲笑しないで欲しい。
イエス・キリストご生誕1592年12月10日。
敬虔なる私、ハビアンは謹んでこれを記す。
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