奥の細道【マップ付き!分かりやすい現代語訳#30】羽黒
登場する場所
番号と対応した地図です。東北地方の名所は頻繁に立ち寄っていることが分かります。
30『羽黒』では、
83 羽黒山
84 出羽三山神社
85 月山
86 湯殿山
が該当します。
原文
六月三日羽黒山に登る
図司左吉と云者を尋て別当代会覚阿闍利に謁す
南谷の別院に舎して憐愍の情こまやかにあるじせらる
四日本坊において誹諧興行
有難や 雪をかをらす 南谷
五日権現に詣
当山開闢能除大師はいづれの代の人と云事をしらず
延喜式に羽州里山の神社と有
書写黒の字を里山となせるにや
羽州黒山を中略して羽黒山と云にや
出羽といへるは鳥の毛羽を此国の貢に献る
と風土記に侍とやらん
月山湯殿を合て三山とす
当寺武江東叡に属して天台止観の月明らかに円頓融通の法の灯かかげそひて僧坊棟をならべ修験行法を励し霊山霊地の験効人貴且恐る
繁栄長にしてめで度御山と謂つべし
八日月山にのぼる
木綿しめ身に引かけ宝冠に頭を包強力と云ものに道びかれて雲霧山気の中に氷雪を踏てのぼる事八里
更に日月行道の雲関に入かとあやしまれ息絶身こごえて頂上に臻れば日没て月顕る
笹を鋪篠を枕として臥て明るを待
日出て雲消れば湯殿に下る
谷の傍に鍛冶小屋と云有
此国の鍛冶霊水を撰て爰に潔斎して劔を打終月山と銘を切て世に賞せらる
彼龍泉に剣を淬とかや干将莫耶のむかしをしたふ
道に堪能の執あさからぬ事しられたり
岩に腰かけてしばしやすらふほど三尺ばかりなる桜のつぼみ半ばひらけるあり
ふり積雪の下に埋て春を忘れぬ遅ざくらの花の心わりなし
炎天の梅花爰にかをるがごとし
行尊僧正の歌の哀も爰に思ひ出て猶まさりて覚ゆ
惣而此山中の微細行者の法式として他言する事を禁ず
仍て筆をとどめて記さず
坊に帰れば阿闍梨の需に依て三山順礼の句々短冊に書
涼しさや ほの三か月の 羽黒山
雲の峰 幾つ崩て 月の山
語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな
湯殿山 銭ふむ道の 泪かな
曾良
現代語訳
6月3日、羽黒山(山形県鶴岡市)に登った。
図司左吉(またの名を近藤左吉。法衣の染物屋を営む)という者を訪ねて、羽黒山院別当代の会覚阿闍梨に謁見した。
南谷の別院(詳細不明)に泊めてもらった。
旅の労苦を憐憫に思ってくれたようで、情の細やかなもてなしを受けた。
羽黒山は、出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山の三山)のひとつで、修験道の聖地とされています。
ちなみに、いずれも明治時代になるまで、女人禁制でした。
6月4日、本坊(詳細不明)において、誹諧を催した。
有難や 雪をかをらす 南谷
雪霧が立ち込める南谷の別院。霊験あらたかな羽黒山に相応しい。有り難や、有り難や。
「かほらす」は霧などが立ち込める様子。雪の白と、羽黒山の黒で対を成しています。
5日、権現(羽黒権現。出羽三山神社のこと)に参詣した。この山を開いた能除大師は、いつの時代の人であるかは知らない。
能除大師は、能除仙や能除太子とも呼ばれます。
出羽三山を開山した人物だと伝わっています。
第32代崇峻天皇の皇子、蜂子皇子(はちこのおうじ)の別称なのですが、蜂子皇子本人が開山したかは不明です。
『延喜式』には、羽黒山は、『羽州里山の神社』と記されている。
現在、羽黒山と呼ばれるのは、書写の際、「黒」の字を「里山」のしてしまったためか、はたまた「羽州黒山」を中略したためか。
『出羽』 というのは、「鳥の羽毛を朝廷に貢物として献上したことに基づく。」と、『風土記』に書いてあるとか。
羽黒山に加え、月山と湯殿山の二山を合わせて出羽三山と呼ばれる。
この寺は武江(武蔵、江戸)の東叡山寛永寺に属しており、天台止観(天台宗の開祖、智顗が体系化した実践修行法)の教義が月のように明るく浸透しているようである。
円頓融通(えんどんゆうずう。円満で偏りなく、真理や功徳などが溶け合うように通じ合うこと)の法灯を掲げ、僧坊は棟を並べて厳しい修験や行法(合わせて修行)に励んでいる。
人は、この霊山霊地の効験を貴び、そして畏怖している。その繁栄は長大であり、めでたい霊山と言えよう。
8日、月山に登った。
木綿しめ(白い布で作った肩からかける袈裟の一種)を肩に掛け、宝冠(白い布で作った頭巾)と呼ばれる白い布で頭を包み、強力(ごうりき。道案内人)という者に案内されて、雲霧立ち込める山の気に包まれ、氷雪を踏みながら8里登った。
いずれも、古代の修験道の模倣でしょう。
「まだ更に先、太陽と月の行く道にある雲の関所へ入るのか。」
と不安に思われた。
息は絶え、身は凍えた。頂上に辿り着いた時には、日は没して月が出ていた。
笹を敷き篠を枕に横に臥して、夜が明けるのを待った。
翌日、日が出てきて雲が消えたので、湯殿山に下った。
湯殿山に「下った」という表現は、標高のためです。標高は以下の通り。
- 羽黒山(414m)
- 月山(1984m)
- 湯殿山(1504m)
谷の傍らに、鍛冶小屋というものがあった。この出羽国の刀鍛冶は、数ある名水の中でも霊水を選んでここに潔斎(身を清めること)し、剣を打った。
そして、『月山』という銘を入れて、ついに世の中から高い評価を得たのである。
かの龍泉に淬いで誕生した干将莫耶(かんしょう、ばくや)。
この銘は、製作した夫婦の名である。
その昔が偲ばれた。
この道に堪能する(精通する、極める)その執念が浅くないことを思い知らされたのであった。
龍泉とは、古代中国の泉のことです。この泉で剣を淬(にら)ぐと、名剣になったといいます。淬ぐとは、焼いた剣を水に入れて絞めることです。
干将莫耶は、雌雄一対の名剣で、龍泉で淬いで作られた伝説があります。
岩に腰掛けてしばらく休んでいると、三尺ほどの桜の木に付いている蕾が半ば開いているのを見つけた。
降り積もる雪の下に埋もれても春を忘れない遅桜の花の心がいじらしい。
まるで、炎天下の夏に梅花が香るようなものである。
『禅林句集』
「雪裏芭蕉摩詰画 炎天梅蘂簡斎詩」
に基づきます。松尾芭蕉の時代より200年ほど前に成立しました。
行尊僧正(平安時代後期の天台宗の僧。延暦寺座主を務めた)の歌
もろともに あはれと思へ 山桜
花よりほかに 知る人もなし
私がおまえを懐かしく思うように、おまえも私を思っておくれ、山桜よ。
こんな山奥では、桜の花のおまえの他に、私の心を知る人は誰もいないのだから。
のように、思いがけず桜の花に出会い詠んだ様子が思い起こされ、より一層感慨深く思われた。
総じて、この山中の細かいことは、行者の法式(掟)として、他言することを禁じている
よって、筆を置いて、これ以上は記さない。
宿坊に帰ると、阿闍梨に歌を求められた。
三山順礼の句々を短冊に書いた。
涼しさやほの三か月の羽黒山
なんと涼しい。幽玄な羽黒山に、ほのかに三日月がかかっているよ。
雲の峰幾つ崩て月の山
峰のように聳える入道雲が、いくつも崩れてこの月山となったのだろうよ。
語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな
湯殿山の行者の掟として、詳細は何も語るこができない。
その神聖さを他言できないから、袖を濡らしてしまうよ。
曾良
湯殿山 銭ふむ道の 泪かな
湯殿山の参道には、無数の賽銭がばら撒かれている。
これを踏みしめながら参詣する神聖さに涙がこぼれるよ。
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