遠野物語とは
『遠野物語』は柳田国男が1910年に出版した説話集です。舞台は岩手県遠野地方。現代民俗学の基盤を作ったとも言われる作品です。
柳田国男は、都市化が進んでいた明治大正期において、失われつつあった日本古来の民族文化を後世に残そうと奮闘した人物で、この『遠野物語』においては、農村文化から人々の精神世界を見出しすかたちで民俗学にアプローチしています。
序文にもある通り、その足で遠野郷を歩き、約1年間の歳月をかけて収集しました。一人で赴いたわけではなく、「鏡石君」という人物を同行させています。協力者は「佐々木君(本名:佐々木喜善)」で、この人は柳田国男の友人で、なおかつ遠野郷出身でした。
そのため、遠野郷がフィールドワークの地に選ばれたんですね。
内容
調査報告書や論文といった角ばった形式の文章ではなく、見聞きしたことをそのまま書き留めたような文体で書かれています。
これは、この書物を読んだ人がさらに他の人に「口伝」することを目的として作られているためです。耳で聞くのではなく目で読んでも「まるで人から話を聞いたような」を実現するための策略になっています。
サイトマップで話の一覧を掲載していますが、約120話構成で、特に突出して記録されたジャンルはありません。登場する妖怪、神霊には、広く一般に知られているキャラクターが多くいます。
- ザシキワラシ
- 山男
- 天狗
- 雪女
- 河童
- 狐
などなどです。アニメやゲームでそのキャラクターの様相は何となく分るでしょう。では、超常現象が深く信じられていた時代において、それらは、どのようなかたちで人々の前に現れたのでしょうか?知っている人は多くないと思います。その原点をここでは知ることができるのです。
現代語訳の前に
柳田国男は近代化によって失わつつある古来の精神を継承しようとこの書を残しました。そして失われることなく、現代の我々にこうして伝わっています。読まない以外、選択肢はないのです。当時の人々の息遣いや思いを知ることで、より深く、この国の民族性を、この国の歴史を知ることができるのではないでしょうか。
サイトマップ
全119話構成で、各話に題が付けられています。
原文には対応表がないため、ここで表にしました。「話番号」をクリックすると、該当の話にジャンプします。
| 話番号 | 題 |
|---|---|
| 1 | 地勢 |
| 2 | 神の始 |
| 3 | 山女 |
| 4 | 山女 |
| 5 | 地勢、山男 |
| 6 | 山男 |
| 7 | 山男 |
| 8 | 昔の人 |
| 9 | 山男 |
| 10 | 昔の人 |
| 11 | 昔の人 |
| 12 | 昔の人 |
| 13 | 家の盛衰 |
| 14 | 家の神(オクナイサマ)、小正月の行事 |
| 15 | 家の神(オクナイサマ) |
| 16 | 家の神 |
| 17 | 家の神(ザシキワラシ) |
| 18 | 家の盛衰、家の神(ザシキワラシ) |
| 19 | 家の盛衰 |
| 20 | 前兆 |
| 21 | 昔の人 |
| 22 | 魂の行方 |
| 23 | まぼろし |
| 25 | 家の盛衰 |
| 26 | 昔の人 |
| 27 | 神女 |
| 28 | 山男 |
| 29 | 天狗 |
| 30 | 山男 |
| 31 | 山男 |
| 32 | 山の霊異 |
| 33 | 山の霊異、花 |
| 34 | 山女 |
| 35 | 山女 |
| 36 | 狼(おいぬ) |
| 37 | 狼(おいぬ) |
| 38 | 狼(おいぬ)、家の盛衰 |
| 39 | 狼(おいぬ) |
| 40 | 狼(おいぬ) |
| 41 | 狼(おいぬ) |
| 42 | 狼(おいぬ) |
| 43 | 熊 |
| 44 | 不明 |
| 45 | 猿の経立(ふったち) |
| 46 | 猿の経立(ふったち) |
| 47 | 猿 |
| 48 | 猿 |
| 49 | 仙人堂 |
| 50 | 花 |
| 51 | 色々の鳥 |
| 52 | 色々の鳥、前兆 |
| 53 | 色々の鳥 |
| 54 | 神女 |
| 55 | 川童 |
| 56 | 川童 |
| 57 | 川童 |
| 58 | 川童 |
| 59 | 川童 |
| 60 | 狐 |
| 61 | 山の霊異 |
| 62 | 天狗 |
| 63 | 家の盛衰 |
| 64 | 家の盛衰(マヨイガ) |
| 65 | 姥神 |
| 66 | 塚と森と |
| 67 | 地勢、館(たて)の址 |
| 68 | 館の址 |
| 69 | 神の始、家の神(オシラサマ) |
| 70 | 家の神(オクナイサマ) |
| 71 | 姥神 |
| 72 | 里の神(カクラサマ) |
| 73 | 里の神(カクラサマ) |
| 74 | 里の神(カクラサマ)、神の始 |
| 75 | 山女 |
| 76 | 館の址 |
| 77 | まぼろし |
| 78 | 前兆 |
| 79 | まぼろし |
| 80 | 家のさま |
| 81 | まぼろし |
| 82 | まぼろし |
| 83 | 家のさま |
| 84 | 昔の人 |
| 85 | 不明 |
| 86 | 魂の行方 |
| 87 | 魂の行方 |
| 88 | 魂の行方 |
| 89 | 山の神 |
| 90 | 天狗 |
| 91 | 山の神 |
| 92 | 山男 |
| 93 | 山の神 |
| 94 | 狐 |
| 95 | 魂の行方、山の霊異 |
| 96 | 前兆 |
| 97 | 魂の行方 |
| 98 | 里の神 |
| 99 | 魂の行方 |
| 100 | 魂の行方 |
| 101 | 狐 |
| 102 | 小正月の行事、山の神 |
| 103 | 雪女、小正月の行事 |
| 104 | 小正月の行事 |
| 105 | 小正月の行事 |
| 106 | 不明 |
| 107 | 山の神 |
| 108 | 山の神 |
| 109 | 雨風祭 |
| 110 | 里の神(ゴンゲサマ) |
| 111 | 塚と森と、地勢 |
| 112 | 蝦夷の跡 |
| 113 | 塚と森と |
| 114 | 塚と森と |
| 115 | 昔々 |
| 116 | 昔々 |
| 117 | 昔々 |
| 118 | 昔々 |
| 119 | 歌謡(※1) |
※現代語訳しようがないため、対象外とします。
「題」で集計すると以下のようになります。
| 題 | 話番号 |
|---|---|
| 魂の行方 | 22・86・87・88・95・97・99・100 |
| 山男 | 5・6・7・9・28・30・31・92 |
| 昔の人 | 8・10・11・12・21・26・84 |
| 家の盛衰 | 13・18・19・24・25・38・63 |
| 狼 (おいぬ) | 36・37・38・39・40・41・42 |
| 山の神 | 89・91・93・102・107・108 |
| 小正月の行事 | 14・102・103・104・105 |
| 山女 | 3・4・34・35・75 |
| まぼろし | 23・77・79・81・82 |
| 川童 | 55・56・57・58・59 |
| 前兆 | 20・52・78・96 |
| 山の霊異 | 32・33・61・95 |
| 地勢 | 1・5・67・111 |
| 塚と森と | 66・111・113・114 |
| 昔々 | 115・116・117・118 |
| 天狗 | 29・62・90 |
| 不明 | 44・85・106 |
| 神の始 | 2・69・74 |
| 家の神 (オクナイサマ) | 14・15・70 |
| 里の神 (カクラサマ) | 72・73・74 |
| 色々の鳥 | 51・52・53 |
| 狐 | 60・94・101 |
| 館(たて)の址 | 67・68・76 |
| 家の盛衰 (マヨイガ) | 63・64 |
| 家の神 (ザシキワラシ) | 17・18 |
| 姥神 | 65・71 |
| 神女 | 27・54 |
| 花 | 33・50 |
| 猿 | 47・48 |
| 猿の経立 (ふったち) | 45・46 |
| 家のさま | 80・83 |
| 家の神 | 16 |
| 家の神 (オシラサマ) | 69 |
| 里の神 | 98 |
| 里の神 (ゴンゲサマ) | 110 |
| 熊 | 43 |
| 雪女 | 103 |
| 歌謡 | 119 |
| 仙人堂 | 49 |
| 雨風祭 | 109 |
| 蝦夷の跡 | 112 |
分類不明は原文に話番号が振られていなかったものになります。意図的なのか柳田国男のミスなのかは分かりません。
また、特にこのジャンルの話が多い、といった傾向はみられないようです。言い換えれば、その地にあるもの全てに魂が宿っていたと考えることができます。
序文
この書を外国に住まう人々に示す。
この話はすべて遠野住人、佐々木鏡石君から聞いた話である。昨年の明治四十二年(1909)の2月ごろから始めて、遠野に住む人々に夜分に訪ね、話してくれたことを筆記した。
鏡石君は話上手ではないが、誠実な人である。私もまた、一字一句をいい加減にせず、感じたままを書き留めた。思うに、遠野郷には記したような物語が数百件あるようである。我々はより多くを聞くことを切望する。国内の山村で、遠野よりさらに山深い所だと、また無数の山神・山人の伝説があるだろう。
私は願う。これを語り、平地人(都会民)は戦慄せよ、と。この書籍は、民俗学の先がけとなるだろう。
昨年(1909)の8月の末、私は遠野郷にやって来た。花巻から遠野までの十数里の路上には町場が3ヶ所ある。その他はただ青い山と原野である。人煙が稀少なことは、北海道の石狩平野よりも甚だしかった。あるいは、新しく出来た道であるが故に、住居がまだ少なく、人が少ないか。
遠野の城下町は、華やかで賑わっている街である。駅亭の主人に馬を借りてひとり郊外の村々を巡った。その馬には、黒い海草で作った厚総(あつぶさ)が掛けられてあった。虻(あぶ)が多いためであろう。
猿ヶ石渓谷は土が肥えており、開拓が進んでいた。路傍に石塔が多いことは諸国の比にならない。高所から展望すると、早稲がよく熟しており、晩稲は花盛りで、全ての水が川に集まっていた。稲の色合いは種類によりて様々であった。三つ四つ五つの田が続けて同じ色の田であれば、すなわち全て同じ一家に属する田であろう。ある意味、姓名と住所を表しているのと同じである。小字(こあざ)からさらに小さい区域の地名は、土地の所有者でないと分からない。古い売買や譲与の証文には常に見られる光景である。
附馬牛(つくもうし)の谷へ越えれば早池峯(はやちね)の山である。淡く霞み、山の形は菅笠(すげがさ)のようで、片仮名の「へ」の字にも似ていた。この谷は稲が登成しているため、眼の前に広がる景色がさらに青い。田の中の細い道を行けば、名前も知らない鳥がおり、雛を連れて横ぎっていった。雛の色は黒。それに白色の羽であった。始めは小さい鶏かと思ったが、溝の草に隠れて見えなくなったため、野鳥であることが分かった。
天神の山では祭りがあり、獅子踊りをやっていた。ここだけはさすがに軽く塵が舞い、紅い物がほんの少しひらめいて一村の緑に映えていた。獅子踊りというのは、鹿の舞いである。鹿の角をつけた面を被り、童子五・六人が剣を抜いて面を被った者らと共に舞うのである。笛の調子は高く、歌は低かった。傍にいたのだが、あれはなかなか聞く機会はない。日が傾くと風が吹いてきた。酔った人を呼ぶ者の声は寂しく、女は笑い、児は走り回る。しかしまあ、この旅愁の感情をどこに向けたら良いか分からなかった。
盂蘭盆には、新しい仏がある家では紅白の旗を高く揚げて魂を招くという風習がある。峠を越える際、東西を指点するこの旗が十数所あった。永住の地を去ろうとする住民と、一次的にやって来た旅人、それに悠々たる霊山とを黄昏は徐ろにやって来たりてその全てを包み込むのであった。
遠野郷には8ヶ所の観音堂がある。観音様は一木造りである。この日、報賽(ほうさい)の多くの徒が岡の上で灯火を付けているのが見え、そこから伏鉦(ふせがね)の音が聞えてきた。道ちがえの草むらの中には、雨風祭(あめかぜまつり)の藁人形があった。あたかも、くたびれた人のように仰向けで落ちていた。以上が、私が遠野郷で感じた印象である。
思うに、この類の書物は少なく、そして現在流行しているとはいえない。いかに印刷が容易になったとしても、『このような本を出版し、自分の限定的なこの趣味を他人に強いようとするのは無作法極まりない。』という人がいるだろう。そうかもしれないがあえて言おう。このような話を聞き、場所を見、後々このことを人に語らない人はいるだろうか。そのような沈黙にしてかつ慎み深い人は、少なくとも私の友人の中にはいない。まして私の900年前の先輩、『今昔物語』ですら当時の時点で「昔むかし」と昔話をしているのだ。そして、そのような出来事が今、目前の出来事として起きているという事実がある。
たとえ今の人々が当時の人々以上に超常現象に対して敬虔の意と誠実な態度とを持っていなくても、『今昔物語』に影響を与えたという『宇治大納言物語』を著した、淡泊で無邪気な大納言、源隆国が聞きに来るのに値する。人の耳に入ることも多くなく、人の口と筆とを用いた記録も極めて少ないからだ。
江戸時代中期の怪談集『御伽百物語』に登場する話に至っては、その志はすでに卑しく、かつ、決してその内容が妄想の上に誕生した話であるか断言することができない。私はひそかに、これと比較することを恥としている。要するに、この書に書かれていることは現在起きている事実なのだ。記した百を超える話だけでも、全てに立派な存在理由があると私は信じている。
鏡石君はまだ若く24・25歳で、私とてこれに10歳年上なだけである。やることなすこと多いこの時代に生まれておきながら、「問題の大小を弁えないで、その能力を用いるところを間違っているぞ。」という人がいればどうすればいい。「明神の山のみみずくのように、耳を尖らせ、眼を丸くしすぎている。」と責めてくる人がいればどうすればいい。そういう時は仕方ない。この責任だけは、私が負わねばならない。
森の中に静かに佇むフクロウが、飛びもせず鳴きもせず、落ち着いた様子で微笑んでいる。
柳田国男
| 前の記事へ << | 続きを読む >> |












